長内将吾と毛豆
祖母が毛豆を作っていた。
長内将吾の家の食卓には毎年出てきていた。
小さいころから当たり前の存在だった毛豆。
しだいに毛豆の魅力に憑りつかれていった。
今では仲間から毛豆バカとまで呼ばれている。
それほどの情熱を注ぐようになったきっかけとは。

農家の道へ
長内将吾はりんご兼米農家の家に生まれた。農家になる前は、県外で調理師として働いていた。
実家に帰った際、晩酌のおつまみとして祖母が出してくれた毛豆。
酒にとても合い、毛豆を食べる手が止まらなくなった。
その後実家に戻り、家の畑の作業をしながら、自分で毛豆を栽培するようになる。
毛豆は一般的な枝豆と比べて収穫時期が遅い。
旬の短さや毛深い見た目も相まって、青森県外にはほとんど出回ることはなかった。
長内将吾は自分の畑で毛豆を研究した。
青森毛豆研究会といたや毛豆研究会の2団体に所属し、
毛豆のブランド化やPRにも取り組んだ。
2016年には青森毛豆研究会主催の最強毛豆決定戦で初のグランプリを獲得。
実は最強毛豆決定戦の開催のきっかけとなったのは、居酒屋での長内将吾の発言。
2013年に初開催された最強毛豆決定戦。
4年目にしての念願のグランプリ獲得は、県内のみならず県外からの反響も大きかった。
そして、県外のお客様との取引にも繋がった。

独立
親の畑を手伝いながら毛豆の世話をする日々が続いた。
どうしても毛豆が後回しになる。
思うように栽培ができない。
もっと毛豆に手をかけたい。
自分でやってみたい。
その思いから、2018年には「ケマラボ」の長内将吾として独立。
近所の年配の方々から畑を借りたり、使わなくなった機械を借りたりと、周りの人たちの協力で毛豆に集中できるようになった。

これから
長内将吾は常に毛豆のことを考えている。
「毛」「豆」というワードだけでも反応してしまうほどだ。
一生毛豆を作っていくか、と聞かれれば「一生やります」と即答する。
これからは安定した収量の増加、園地の整備や拡大などの生産面の強化を目指す。
加工品の販売、流通システムや価格設定といった毛豆が産業として成り立つような仕組みづくりも進めたい。
毛豆に対する熱意はとどまるところを知らない。
ケマラボ 基本情報
屋号 | ケマラボ |
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代表者 | 長内 将吾 |
住所 | 〒038-3636 青森県北津軽郡板柳町大字五幾形字飯田35 |
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